1993-1996 格闘技ビッグバン!!K-1、UFC 格闘技黄金時代PLAY BACK (Vol.1) BB MOOK/ベースボールマガジン社 未使用でしたが、写真撮影の為に出しました。 大切に自宅保管のみですが、 ご理解のある方にお願い致します。 格闘技黄金時代PLAY BACK! 格闘技通信SPECIAL vol.1 1993-1996 格闘技ビッグバン!!K-1、UFCの誕生 B.B.MOOK 857 スポーツシリーズ No.727 1993から96年までの、一時代を築いた格闘技ブームの創世記がまとめられている。 奇しくもK-1やパンクラス、UFCが誕生した93年。 記者追想録 参考 格闘技好き、そうでもない人もK-1という競技には熱狂させるものがあった。 台本(ブック)なしの真剣試合。1発のパンチ・蹴りの破壊力。 今回はK-1のルーツともいえる第1回大会に焦点をあててみたい。 1993年4月30日東京国立代々木競技場第一体育館において、日本をはじめ世界中の格闘技ブームに火を付けた「K-1」の第一回大会、10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント「K-1 GRAND PRIX‘93」が開催された。 本大会優勝者であるブランコ・シカティックを皮切りにアンディ・フグ、ピーターアーツ、アーネスト・ホースト、ブアカーオ・ポー・プラムック、魔裟斗といったスター選手が数多く生まれ、格闘技ファンのみならずお茶の間に興奮を与える年末の代名詞までに成長した「K-1」。一度はその歴史に幕を下ろしたものの、2014年に「新生K-1」として復活を遂げた。 UFO プロレスから離れて総合格闘技のシューティング(を設立して、その発展に尽力していた佐山聡は1994年7月にヒクソン・グレイシーを日本に初めて招聘してバーリトゥード大会に参戦させるなど格闘技ブームの一翼を担い格闘技界で独自の地位を築いていた。 アントニオ猪木は、この流れに乗じる形で疎遠になっていた佐山と師弟関係を理由に和解して1996年に「世界格闘技連合(せかいかくとうぎれんごう)」を発足。その内容は世界規模の格闘技統一組織というものであった。猪木が度々行う壮大な計画であったが、バルセロナ五輪銀メダリストで全日本柔道選手権優勝7回の実績を誇る柔道家の小川直也をプロ格闘家 パンクラス